「携帯電話はいずれ高級なものになる」という仮説

視点は間違っていないが、分析が少し足りないと思う。
http://facta.co.jp/article/200703060.html

ここに浮かぶのは「格差社会」ではないのか。PCが操作性や安定性からみて未熟な製品であることは事実だが、ホワイトカラーは当分、PCインフラに依存しなければ仕事ができない。しかしブルーカラー、あるいはフリーターは必ずしもPCを必要としない。ノートブックで十数万、デスクトップで最低7〜8万円するPCを買うカネも時間も置く場所もないのだ。彼らが20代の「PC音痴ネットユーザー」である親指族の正体なのである。

むしろ逆で、場合によっては「可処分所得の低い人ほどPCを利用する」傾向すらありうるのではないか。

日本の携帯電話が「ガラパゴス症候群」に陥っていることはあちこちで指摘されている。その結果、日本の携帯電話の価格は世界水準から比べて上昇した。現状はキャリアの報奨金で何とか小売価格を取り繕っているが、すでに普及率が飽和状態に入りつつある中で、報奨金制度自体もそう長くは続かないだろう。

従って今後日本の端末の小売価格は世界水準に近づき、いずれは世界水準より高くなる。なにしろ日本の携帯電話ベンダは世界市場でまったくプレゼンスがないし、3G環境も世界的にはまだ広がっていないから「規模の経済」にもならず、価格が低下する要因がない。すでにソフトバンクモバイルの参入あたりから、「端末ってこれくらいの値段なんだ」とじわじわ認識されはじめている。

一方、加入者が増えない以上、キャリアは今後ARPUを上昇させるための戦略に出ざるを得ない。すなわちサービスの高付加価値化である。これがうまく進めば、ARPUの高い層と低い層にユーザが分かれ、金持ちユーザのサービス消費が貧乏ユーザの料金を支える、という幸せな役割分担が成立する。

そこで各キャリアともあの手この手でサービスを展開している。しかし実際にそれほど成功していないし、成功の気配もあまり感じない。携帯電話コンテンツサービスでいま一番注目されているモバゲーの「サービスは無料・広告とECで商売」というビジネスモデルが象徴するように、キャリアが収益を直接得る機会は減りつつある。結果、基本料金やそれに類したサービスの料金の上昇要因となる。

翻ってPC。確かにショップブランドでも1台5-6万円はするが、実際のところそれは携帯電話の端末料金ともはや大差ない。また昨今のPCはソフトウェア環境も含めて全般に成熟しており、携帯電話よりも明らかにライフサイクルが長い。しかも安いADSLを使えば接続料金は携帯電話利用料を下回るし、PCインターネットこそ無料コンテンツの宝庫である。

確かに、携帯電話サービスの成熟ぶりは目を見張るものがある。インターフェースも素晴らしい。どれほどガラパゴスと揶揄されようと、もはやここまでくればこれは立派な文化とすら言えるだろう。

しかし、引用先の記事が示した視点で状況を見渡すと、端末もサービスも高額な携帯電話を、今後本当に可処分所得の低い人たちが使い続けるだろうか。むしろ将来的にはPCユーザになっていくのではないか。少なくともこういう仮説も成り立つはずだ。

と、ここまで書いて「そもそも」に戻るのだが、

2000年から2006年の6年間でウェブ利用者の年齢構成に大きな変化

弊社代表取締役社長兼チーフアナリストの萩原雅之は、「若い世代で先行していたウェブ利用は、この6年間で着実に中高年齢層に普及しています。また、同時に女性にも普及している様子が見て取れます。一方で、20歳代の比率が減少しているのは、ウェブ利用が全世代にわたり一般化したことによるものですが、携帯電話端末の機能やサービスが劇的に向上し、ECやSNSなどの携帯電話による利用増も要因と考えられます。」と述べています。

ここに発表されているデータだけでは何も語れないと思う。少なくとも世代構成別の母数が分からなければ、このデータからの分析は意味をなさない。そこで強引に議論を展開してしまったのが今回の記事の最大の弱点だろう。