web2.0はまだα版

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ウェブ進化論』に何度も出てくるのが"Web2.0"という言葉だが、その意味ははっきりしない。梅田氏は、それを「ネット上の不特定多数の人々を、能動的な表現者と認めて積極的に巻き込んでいく」技術やサービスだとするが、それは今に始まったことではなく、15年前からあるWeb1.0の特徴である。

私もパソコン通信のころからネットワークを見てきたが、最初にモザイク(WWW)を見たときに受けた衝撃に比べれば、梅田氏などが革命(revolution)だと騒いでいる特徴は、その必然的な進化(evolution)の結果にすぎない。彼の本の表題がそれを語っている。

池田氏の物の言い方は時としてスキャンダラスであり、そのせいで「なんだかなあ」と思うことも、正直なくはない。ただこの指摘はそれなりに共感できる。おそらく彼がやんわりと述べているとおり、web2.0とあちこちで喧伝されてはいるものの、おそらくその思想に実装がまだ追いついていないのだ。

web2.0の代表的なアクティビティとして、wiki(やwikipedia)、API公開、RSSといったあたりが指摘される。日本だと、hatenaが代表的なのかな。しかしそれらを並べてみて、なんとまあ敷居の高いこと、と思う。おそらく今これらのサービスを使いこなしているネットユーザは、日本の中では10%にも満たないのではないだろうか。

web2.0自体はネットの利用に対する新しい考え方の表明だと思う。あえて「思想」という言葉をここで使ったのも、そういう認識を背景としている。その意味で、池田氏web1.0の延長線にすぎないことをことさらに強調するが、思想なんてそんなものだ、とも言える。そもそも、「2.0」という表現自体、この考え方がそれほど画期的に斬新なものではないということを指し示しているし、分かっている人はそれを十分に分かっているはずだ。

梅田氏がweb2.0をあえて「革命」と大げさに言うのは、そこに新たな思想性を見出していること、そしてそれがそれなりに重要であることを彼なりに認識した上での、一種のアジテーションなのだと思う。実際、web2.0に限らず、彼の物の言い方にはそういう側面が少なくない。しかもそれはたまに、本気で間違えているんじゃないか、というくらいあぶなっかしい。

さておき、web2.0はどのようにして実装されていくのか。あまり小難しいことは言いたくないが、それは単純に計算機の上で動作するソースコードとして記述されるだけでは完成しないと思う。おそらく、社会制度、情報に対する個人の認識、ビジネスモデル、といったものの「変化・変革」を伴ってこそ、はじめて成立しうるのではないだろうか。また逆に言えば、そういった変化や変革を促さなければ、そのweb2.0の実装はおそらく失敗だと思う。

このあたりは、もう少し整理しつつ、続きを書いていく。ひとまず今は、前述の「敷居の高さ」というのが一つのヒントになるのではないか、と思っている。