iPhoneエントリのこぼれ話

久々の更新がCNETの余談というのも恐縮だが。
http://blog.japan.cnet.com/kurosaka/a/2007/06/iphone1.html

ただ、あまのじゃくな私は、ここまで世界中の人々がiPhoneを発売前から絶賛すればするほど、「それ本当?」とつい思ってしまう。そしてコンピュータへの接触歴だけは長い(そのわりに大した技能は習得できていない)身としては、ふと心配にさせる思考や記憶が、ふつふつと湧き出してくるのである。

正直、Appleフリークの熱狂ぶりは結構コワイ。うかつなことは書けないし、憎まれ口なんぞ叩いた日には集中砲火を浴びせられかねない(と思ったら、もう一つそんなコメントがはてブについている、クワバラクワバラ…)。

じゃあ書かなきゃいいのに、というのももちろんアリなのだが、それでも書いてしまうのは、コワイモノ見たさというだけでなく、これまでの経験でAppleには何度か煮え湯を飲まされてきているからである。

というわけで、毎度ばかばかしいこぼれ話でご機嫌をうかがいます。

あまり人に話したことはないが、私とMacの付き合いはそこそこ長い。今から17年ほど前、通っていた高校に隣接する大学の生協で売られていたSE/30のハードディスク付きモデルを買った。金額はおよそ50万円。これが最初の出会いだ。

高校生には大金である。あれこれ細かい商売や株式投資をしていて、多少の蓄えがあったものの、その半分強を使い果たしてしまった。その後これまで何台かクルマを買い換えているが、相対的にはあのSE/30の方が高い買い物だったように思う。

Macのある生活は楽しかった。その頃使っていたPC-9801UV2とは比べものにならなかった。HyperCardでさんざん遊び、手持ちのモデムを接続するためにRS-422Cのケーブルを秋葉原中探したものだ(確か最後は多摩センターの方まで出向いた記憶がある)。パソコン通信なんて98でやった方が楽だったのだが、とにかくMacが使いたくて仕方なかったのだ。そういや「FirstClass」なんてのもあったな。高城剛とか。

しかしその後、私は愕然とする。Classicシリーズという名の価格破壊マシンが登場したのだ。特にClassicIIはSE/30とほぼ同スペックで、値段は半分強程度。30万も出せばアプリも含めて一式揃うのだ。

もちろんSE/30の方がカッコいいし、筐体も立派だ。実際現在のアンティーク市場でも、SE/30の評価は高い。しかし、そんな美学で高楊枝を気取るほどの余裕は、当時の私は持ち合わせていなかった。爪に火を灯して買ったフェラーリが、ディーラーを出た最初の交差点で追突されたようなものだ。

それでも私はSE/30を使い続けた。そしてその経験は私を豊かにしてくれた。HyperCardでそれなりにいろいろ作った経験は、その後のWebやDBの開発に活かされ、学生の身分ながら第一次ネットバブルであちこちの案件を手伝った。またその頃、まともに使えるDTPソフトはMacPageMaker程度しかなく、教員の手伝いをしていた私は教材作りでしばしば研究室のMacの前で徹夜していた。そんな機会が得られたのも、私がMacを使えたからだ。

ただ、あの頃のMacは信頼性がとても低かった。今でこそ不安定なWindowsを茶化すCMが流されているが、あの頃の爆弾マークの頻発を知る人であれば、よく言えば隔世の感、悪く言えば「いい気になりやがって」というところだろう。爆弾マークだけでなく、あのおそろしい旋律(Windowsブルースクリーンに近い)も何度か耳にした。いずれも私の睡眠時間を無意味に奪うものたちだった。

もう一つ、MagicCapにも少しガッカリした。大学の後輩に誘われてこの実験に参加した時は、TeleScriptでいろいろなことができそうだと思っていた。しかし端末は安定せず、内蔵モデムによる接続すらままならず、気がつけば実験は終了していた。これは後編のエントリでも触れるが、このあたりが私の「ApplePDA不信」につながっている。

そんなわけで、私の心は次第にMacから離れていった。大学院に進む頃は、今風に言えば「ていうかFreeBSDの方がいいんじゃね?」というような気分だった。何しろ安いし、古いスペックのPCでもそこそこ使える。カーネルをチューニングできるというのもいい。予算はないけど時間はある学生にはもってこい。そんな私の気分と、MacOSXを作る頃のAppleの気分が一致していた(=MacOSXFreeBSDベース)というのは、皮肉なものだ。

こう書くと工学系のように思われるかも知れないが、私は財政学やら社会学やらをやっていたバリバリの文系だ。正直、研究室よりも私自身の方が金回りがよかったくらい、文系の研究室は貧乏所帯だったである。しかし私の研究にマシンは不可欠だった。告白すると、マハーポーシャのお世話にもなっているし、キャンパスのゴミ捨て場で古いワークステーションを何台か漁り、パーツを組み合わせて復活させたこともある。そんな状態だった。

そして修了。修論は、あれ、いつの間にかWordで書いてたな。ということは図表もExcel修論発表はPowerPoint…というわけで就職する頃にはどこに出しても恥ずかしくないWindowsユーザの出来上がりである。このあたりの経緯は省略。

以上、こういう道のりを歩んできたので、ちょっとばかり憎まれ口を叩いてもバチは当たらないかな、と勝手に思って書いてみたのが今回の顛末。まあ後半のエントリでちょっと申し訳程度にフォローしているので、はてブあたりで「知ればいいのに」とでもタグを付けようか迷われている方は、できればそちらも読んでいただいた上で、適当にスルーしていただければと思う。

ちなみに、それでも今の我が家にはiBookG4が現役であることを、文末にイヤらしく付記しておく。